そもそも何故私がウィーンに留学することになったか。
あれは18歳、大学一年生の春。
桐朋の高校から内部進学で大学へ進んだ私は、卒業試験も終わり、ノンビリと暇な春休みを過ごしていた。
7月の実技試験まで時間があるし、力試しにコンクールでも受けてみよう!
と、なんとなーく受けたコンクール。
そしたら優勝しちゃった!
その、優勝の副賞は「夏休みのウィーン行き」。
ウィーン郊外のバーデンと言う町で行われる、音楽祭へのスカラシップ生としての参加。
受かっちゃった、どうしましょう。
まさか自分が優勝するとは!
しかも、副賞がウィーン行きだなんてことは知らないで受けたコンクール。
ウィーンってどこ?!
何語?
英語?
ごはんは何食べるの?
飛行機一人で乗るの!?
棚から牡丹餅みたいに降って来たウィーン行きの話。
そして副賞の音楽祭・音楽講習会への参加。
講習会は、ウィーン国立音大、ブタペストのリスト音楽院、そしてチェコのプラハ音楽院が共同で主催するもので、それらの学校の著名な教授達がウィーン郊外に集まって集中レッスンやコンサートをするというヨーロッパでは良くあるもの。
講習会でレッスンを受ける際には、担当教授を決めなくてはならず、申し込みの時には「〇〇教授 希望」と、申請する必要があった。
でも、わかんない!
一生懸命に教授たちの英語のプロフィールを訳したけど、何が何だか・・トホホ
仕方が無いから、桐朋の私の担当教授に聞いてみた。
「先生、私今度ウィーンに行くんだけど、この中に先生の知っているお名前の教授はいますか?どの先生を指名すればいいのかわからなくて」
先生は、
「う~ん。
どれも知らないけど、この ノエル・フローレス って言う教授がいいんじゃない?
ノエルってフランス語でクリスマスって意味で、フローレスはお花って意味だから、きっとフランス人の女性の若い先生だから優しそうでいいんじゃない?(先生フランス語堪能)」
じゃあそうしよう!
クリスマスのお花なんてオシャレな名前じゃないか。
とフランス語堪能な先生の言葉を信じて「ノエル・フローレス」を指名して申し込んだ。
その数ヵ月後。
ウィーンにて、クリスマスのお花こと、ノエル・フローレス教授とご対面。
レッスン当日、部屋のドアを開けると、色の黒くて背の高~い、ハンサムなおじいちゃんがピアノの前に立ってニッコリ笑っていた。
なんと、ノエル・フローレスはインド人のおじいちゃんだった!!
「ええええ!!!うそー!」
まるでギャグのようなこの展開にひっくり返りそうになった18歳夏。
初めてのヨーロッパ一人旅。
つづく・・・
